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創業者の想い

Bー29爆撃機を邀撃するゼロ戦の悩み

2010-01-18
written at 2010年01月18日|仕事の思い出
時代は、第二次世界大戦の昭和19年暮れにさかのぼります。
南のサイパン島が米国に占領され、B-29爆撃機が頻繁に日本国土に飛来、高度1万メートル上空から、兵器工場を中心に爆撃していました。邀撃に向かったゼロ戦や日本の戦闘機の機銃に使用されていた 『潤滑オイル』が零下40度の以上の上空では凍結してしまい、機銃弾が発射しませんでした。ちょうどそのとき、陸軍の戦闘機がB-29の攻撃態勢に入ったが機銃が作動せず。
日本刀のようにプロペラでB-29の胴体を切り裂いた。B-29は墜落し陸軍のパイロットは落下傘で無事生還されました。それを知った軍部、新聞は空の英雄と褒め称え、報道は 「体当たり攻撃」 と国民に知らせました。兵器開発の遅れが、尊いパイロットに体当たりを押し付けた結果は、悲しく思う次第です。
その後昭和20年3月硫黄島も占領された機会に、米国の護衛戦闘機P-51の出現でB-29は、低空で日本の大都市を爆撃したのを私は記憶しています。
それから、昭和39年東京オリンピックが始まり、アメリカ自転車チームが自転車チェーンに黒い潤滑液をさしているのを目撃していた人がいた。(山陰氏)説明によると、二硫化モリブデンです。 
そのモリブデンの摩擦力は世界最大、しかも不凍液でもある。
産出国はカナダ、ロシア。
むろん、B-29の機銃潤滑剤として使われていた。その後昭和55年旧日本道路公団の高藤 伝 部長との相談の中で橋の支承に注入すれば、老いた支承が若くなるかも。戦争でなくて、平和に注入しますか・・・と。今日でも橋のメンテナンスには大切な潤滑液として、我が社は愛用しています。
 
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大東金属株式会社
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