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創業者の想い

西宮球場の昔話

2015-02-20
以前にブログで書いた「球場のフェンスの話」の内容を転載します。
 
 
時代は昭和34年の11月のことです。
 
デイリースポーツ紙を読んでいたら、面白い記事に出会いました。それは「ストーブリーグ」と呼ばれる欄でした。
 
「阪急ブレーブスはなぜ最下位か?」と、当時の監督 戸倉氏は叫びました。「西宮球場が余りにも広すぎるからだ。もし南海ホークスの難波球場だったら…… バルボン選手が大レフトフライを満塁で打ったことや、4番の中田選手が満塁でホームラン性の大フライを放った時も……」と、そのような事例が山ほどあります。アレヤ、コレヤと思うと、阪急ブレーブスは毎年優勝します。
 
もしも出来るものなら、親会社の阪急電鉄さんが、野球開催時は難波球場のように狭くなり、競輪の開催時は今のような広さにに早変わりする施設を作ってくれないものかなぁ、と語りました。
 
私(古賀)はアイデアを提案しました。甲子園球場のラッキーゾーンは固定式ですが、西宮球場向けは簡易で脱着式で、頑丈なラッキーゾーンを提案しました。
 
すると阪急電鉄より、施工指示が届きました。
 
その後、阪急ブレーブス球団が優勝を重ねていった思い出があります。
 
  
 
平成22年8月 六甲山ホテルに宿泊して、阪急電鉄の創業者小林一三記念館を訪れました。小林一三翁が愛用された事務机と椅子が整然と展示されていました。
 
私はその事務机に腰掛け、しばし物思いに耽っていました・・・すると、“兄ちゃんよく来てくれたね”と小林一三翁が現れて、話しかけられました・・・
 
『野球では阪神タイガースの調子が良いが、我が阪急ブレーブスは負けが多い。そこで根屋企画室長、毛利課長、並木係長にブレーブスが強くなるよう、研究を指示した。
ある日、根屋室長が、「若人男がラッキーゾーンという設計図を持って現れた。(昭和34年、私は24歳の若造でした)」と言ったので「この兄ちゃんの考えは面白い!採用したら…」と指示した。
 
すると阪急ブレーブスが俄然強くなった。ある日「若い兄ちゃんにお礼をしたら…」と言った。「カネを渡すのはアカン。」「兄ちゃんは何の仕事をしてるの…」「ハイ、フェンスという金網を張っています」
では今、阪急が分譲住宅を作っているな。その住宅、仁川、売布、春日野、甲東園団地等に採用してはどうか…それと日本道路公団が西宮~東京までフェンスを設置する話を聞いたよ。並木係長に調べてもらって、兄ちゃんに紹介してみないか…』
 
私は「あーそれで石倉商店(金物商)が名神高速の瀬田~栗東間の立ち入り防止柵の大型工事が受注できたのか」と物思いに耽っていましたら、妻に「いつまで座っているのよ、土産を買いに行くわよ」と肩を叩かれるまで、思い出に浸っていました。
 
 
※平成27年2月・・・小林一三翁が阪急王国を作り、そして野球阪急ブレーブスの連続優勝に活躍したフェンス(ラッキーフェンス)の設置直後の写真が見つかりましたので、掲載します。
 
 
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