創業者の想い
中国自動車道のシェルターの思い出
2016-11-01
昭和50年頃の高架橋建設工事現場での話です。
中国自動車道青葉台地区(宝塚)の高架橋は約80%程完成していましたが、沿線住民からの声で、
騒音防止などの環境対策を行うことになりました。
当時日本道路公団 新妻氏(故人)より、「古賀さん、どうしたら良いものかなぁ?」と相談され
ました。
私は「ゼロ戦の整備用格納庫の長いものに、私が開発した吸音板を壁の内側に張ったらどうでしょう。」
と返事をすると、「おもしろいかもしれません!検討してみるか…」と話が進み、現在のシェルターの
形となりました。
↑※当時の私(古賀 敬司)
それから月日が経って、平成28年9月21日 西日本高速道路メンテナンス関西㈱ 阪神保全センター
奥隅センター長より、「シェルターの歴史を生の声(肉声)で教えてくれる人は、古賀さんだけだと
思う。シェルターの修理について説明してほしい。」と求められ、現在試案検討している最中です。