創業者の想い
G.N.N.の意味
2011-06-02
written at 2011年06月02日|思い出
G.N.N.とは義理、人情、浪花節という意味です。
当時の日本人を「江戸っ子 よ!!」と言ったようでした。昭和58年頃、名古屋エンジニアリングの山根巌氏より私に「北陸道柏崎にある、青海橋の防風柵を検討してほしい」と電話が あり私は話を受けた。今度は土工部ではなく、高架である。それはエキスパンドメタルでなく、パンチングメタルで開口率を50%にし、それを凹凸の波板状に加工し、日本海の美しい景観をドライバーにも見えるようにと考えた。
(図1~3参照)
関係者より、大変良い出来栄えと称賛された。その夜、宿は私一人になった。山根氏は用事があると言って名古屋に帰られた。私は私に褒美を与えようと、近くのクラブ美松へ行き、客となった。クラブには客は一人も居なく、私一人の時間が流れた。クラブのママが突然、「田中角さん(田中角栄元総理大臣)をどう思いますか?」と問いかけてきた。私は「G.N.N.が分かる人だと尊敬しています」と答えると、「G.N.N.って何よ?」って言ってきた。私は丁寧に義理と人情、浪花節を解説すると、「スバラシイ!!」と言い、「古賀さん目白の角さんのところへ案内してあげましょうか?」と思いも寄らない話が飛んできた。私は「是非に・・・」と返事をしました。私の希望は「旧田中総理邸の池の前で2人の写真を・・・」と話しました。数日後、「来月の5月6日 10時に田中邸で待ってますから必ずいらっしゃってね!!」と電話がありました。当日田中邸を訪れますと、すでに先客が10名余り居ました。あと2人で私の番だと、胸がドキドキして何を話そうかと考えていると、元総理大臣の竹下登氏が現れ、数分後に田中角栄、竹下登両氏で外出され、係の人から「本日の面会は終りです」と告げられ、幕となりました。おみやげとして買い求めた、ナポレオン(ブランデー)がやけに重く感じた、48歳5月の思い出です。
図1
当時の日本人を「江戸っ子 よ!!」と言ったようでした。昭和58年頃、名古屋エンジニアリングの山根巌氏より私に「北陸道柏崎にある、青海橋の防風柵を検討してほしい」と電話が あり私は話を受けた。今度は土工部ではなく、高架である。それはエキスパンドメタルでなく、パンチングメタルで開口率を50%にし、それを凹凸の波板状に加工し、日本海の美しい景観をドライバーにも見えるようにと考えた。
(図1~3参照)
関係者より、大変良い出来栄えと称賛された。その夜、宿は私一人になった。山根氏は用事があると言って名古屋に帰られた。私は私に褒美を与えようと、近くのクラブ美松へ行き、客となった。クラブには客は一人も居なく、私一人の時間が流れた。クラブのママが突然、「田中角さん(田中角栄元総理大臣)をどう思いますか?」と問いかけてきた。私は「G.N.N.が分かる人だと尊敬しています」と答えると、「G.N.N.って何よ?」って言ってきた。私は丁寧に義理と人情、浪花節を解説すると、「スバラシイ!!」と言い、「古賀さん目白の角さんのところへ案内してあげましょうか?」と思いも寄らない話が飛んできた。私は「是非に・・・」と返事をしました。私の希望は「旧田中総理邸の池の前で2人の写真を・・・」と話しました。数日後、「来月の5月6日 10時に田中邸で待ってますから必ずいらっしゃってね!!」と電話がありました。当日田中邸を訪れますと、すでに先客が10名余り居ました。あと2人で私の番だと、胸がドキドキして何を話そうかと考えていると、元総理大臣の竹下登氏が現れ、数分後に田中角栄、竹下登両氏で外出され、係の人から「本日の面会は終りです」と告げられ、幕となりました。おみやげとして買い求めた、ナポレオン(ブランデー)がやけに重く感じた、48歳5月の思い出です。
図1
北陸道柏崎 青海橋の防風柵
パンチングメタル開口率50% 凹凸波板状に加工日本海の美しい景観をドライバーにも見えるようにしたフェンス。