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創業者の想い

防音壁開発(続編)

2011-01-19
written at 2011年01月19日|仕事の思い出
昭和45年の夏のことです。
阪神高速の守口線が、昭和46年10月開通を目指して、工事が急ピッチで進んでいたころ、阪神高速より相談を受けた。その内容とは、車の騒音を弱め 、太陽光線を阻害しない遮音壁を設置したいとの申し出だった。そこで、樹脂板(ポリカーボネート)の遮音性の透光板を提案し設置した。今思えば、初の透光遮音板だったのではと思います。開通から約1年余り経った頃、阪神高速より、設置した遮音壁は乗用車が走るときはよいが、大型車が走ると騒がしい音がすると苦情が持ち込まれた。私は『重複反射音が出たな、ならば吸音性をもった製品を・・・』と思いついた。早速、試作品を作って、国鉄大鉄局に持って行ったところ、担当者が「その吸音板をチョットお貸し願いたい」と申し出られた。その日の夕方、NHKの広報記者が私の帰りを待ち構え・・・吸音板について質問を投げかけてきた。翌朝、7時のテレビニュースで「山陽新幹線開業の伴い、神戸六甲トンネル東坑口付近での騒音は80ホーン以下に抑えられるはずが、実際には100ホーン以上に達している。それを大阪の金属メーカーと共同開発した吸音式遮音板で対処することにした」と告げた。これが我が国で、鉄道、道路などに採用された本格的な遮音板の始まりです。昭和47年のことです。
昭和55年6月頃のことです。新大阪駅に近い大阪道路エンジニアのエレベーターホールで、三浦 進局長にバッタリ会った時の話です。
局長が「古賀君、石倉金属をヤメタンダッテネ!!実は君に感謝と興味を持って、君を日本道路公団で、個人表彰を検討してる最中だったんだよ・・・」話し掛けられました。「私は何か致しましたか?」と尋ねますと三浦 進局長が「古賀君が、NHKで数年前(昭和47年)に発表した例の防音壁だけどね、特許を申請しなかったよね・・・、そのお陰で日本国中に多くのメーカーが誕生した。吸音板が発表されるまでは、高速道路の両側に防音築堤を作り、そして50m以上の防音林を設置する構想が現実にあった(中国自動車道)。
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外国のような広い国土のある国ならば可能かもしれないが、我が国では困難です、それが一夜にして、NHKの朝の7時のニュースのお陰で、中国自動車道計画路線の各自治体は、手の平を返すかのように、"山陽新幹線に採用する吸音式防音壁を設置して下されば、防音林も防音築堤もいらない、早く高速道路の早期完成を願う"という陳情に変ったよ。佐用(広島)に至っては、防音壁を作れば、側道もいらないから、早く道路を作ってくれというところもあった。で、いちばん困ったのは、建設省(現:国土交通省)と大蔵省(現:財務省)だったよ。下関までのほとんどの建設用地契約が1年~2年の間に完了してしまった。予定では10年はかかると予想した人もいたくらいだった。近くでは兵庫県の宝塚工区はモメにモメていたのに、防音壁と防音トンネル(シェルター)で和解できたしね。私(三浦 進局長)は在職中は古賀君のお陰で助かったと思っています。
特許を申請しなかった人がもう一人いたな・・・カラオケの井上大佑ね」・・・ざっとこんな雑談でした。私も今年で76歳です。お会いした時は45歳でした。元、三浦 進局長様にお会いすることができましたら、遠い昔話をしてみたいなぁーと思う昨今です。
 
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大東金属株式会社
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