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創業者の想い

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アイデアマンと呼ばれた原点

2010-01-26
written at 2010年01月26日|仕事の思い出
昭和38年9月の暑い頃の話です。
名神高速道路は昭和38年7月16日尼崎IC~栗東ICが開通していました。私はある製品の部品を茨木管理に届け、取付指導をすることになり、作業現場へ同行し作業が終わるまで、工事中の旗振りを申し出て体験致しました。傍目には軽作業に感じますが、真夏の太陽のもとでの単純作業は根気がない私には疲れました。そこで、「 マネキン人形を少し改良して旗を振らすとどうでしょう? 」と話すと、「 それは面白いかも 」と名前は思い出せませんが、造ってみようという人がいらっしゃいました。後日、マネキン人形は出来上がっていました。真っ白いスカートを着け、きれいなブラウスを着て、アメリカ映画 『 七年目の浮気 』のマリリン・モンローのそっくりさんでした。後日談ですが、そのモンローが名神高速道路で旗を振ると、世の男性ドライバーは、美女が救助を求めていると錯覚して、車が停車したそうです。
そこで、これはイカンとスカートを剥がし、作業ズボンに変え、上はジャンパーを着せ、保安帽を被せたところ、車はスムーズに流れたそうです。
ある日、マネキンは車庫の奥に静かに任務を果たしたかのように眠っていました。改造では無理だなと思いました。始めから、目的と任務を組み込んだ製品が必要だと。 名神高速から、東名高速に時代が変わった頃から、機械的に作られた 『 旗フリマン安全太郎 』の活躍の時代が続き、平成10年日本道路公団メンテナンスショーで機械から電子(LED)へと旗振りガードマンを変更して発表し、太郎から次郎への出番が来ないかなぁ・・と思う昨今です。

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ゼロ戦とグラマン戦闘機の比較

2010-01-18
written at 2010年01月18日|仕事の思い出
ある日、第二次世界大戦航空戦史の本を読んでいましたら、こんな記事がありました。昭和18年南ガダルカナル島上空で、アメリカのグラマン戦闘機に遭遇し、空中戦となった。ゼロ戦の火力が勝り、グラマン戦闘機はかなりの痛手を受け、よたよたとして去っていった。ゼロ戦も2、3発被弾したが、飛行には問題なく、悠々とラバウル基地に着陸した。
整備兵の報告は、「エンジンを下ろして部品交換をするので、5日整備にかかる」とのことである。
 「そうか」
 「予備機はあります」 
翌日、ガダルカナル島上空での出来事である。昨日、あれだけ叩いたグラマンが同じパイロットで邀撃してきたとの記事私は思った。『 日本は整備に5日。米国は0.5日 』
         『 新型遮音板の取替えは1時間 』
出来ました、第二京阪自動車道採用 3月20日 開通。
 
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新型遮音壁(グラマン方式)
 
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Bー29爆撃機を邀撃するゼロ戦の悩み

2010-01-18
written at 2010年01月18日|仕事の思い出
時代は、第二次世界大戦の昭和19年暮れにさかのぼります。
南のサイパン島が米国に占領され、B-29爆撃機が頻繁に日本国土に飛来、高度1万メートル上空から、兵器工場を中心に爆撃していました。邀撃に向かったゼロ戦や日本の戦闘機の機銃に使用されていた 『潤滑オイル』が零下40度の以上の上空では凍結してしまい、機銃弾が発射しませんでした。ちょうどそのとき、陸軍の戦闘機がB-29の攻撃態勢に入ったが機銃が作動せず。
日本刀のようにプロペラでB-29の胴体を切り裂いた。B-29は墜落し陸軍のパイロットは落下傘で無事生還されました。それを知った軍部、新聞は空の英雄と褒め称え、報道は 「体当たり攻撃」 と国民に知らせました。兵器開発の遅れが、尊いパイロットに体当たりを押し付けた結果は、悲しく思う次第です。
その後昭和20年3月硫黄島も占領された機会に、米国の護衛戦闘機P-51の出現でB-29は、低空で日本の大都市を爆撃したのを私は記憶しています。
それから、昭和39年東京オリンピックが始まり、アメリカ自転車チームが自転車チェーンに黒い潤滑液をさしているのを目撃していた人がいた。(山陰氏)説明によると、二硫化モリブデンです。 
そのモリブデンの摩擦力は世界最大、しかも不凍液でもある。
産出国はカナダ、ロシア。
むろん、B-29の機銃潤滑剤として使われていた。その後昭和55年旧日本道路公団の高藤 伝 部長との相談の中で橋の支承に注入すれば、老いた支承が若くなるかも。戦争でなくて、平和に注入しますか・・・と。今日でも橋のメンテナンスには大切な潤滑液として、我が社は愛用しています。
 
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米国映画 空中ブランコよりヒントを貰った製品

2010-01-13
written at 2010年01月13日|仕事の思い出
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昭和43年4月25日東名高速道路、東京~厚木間35kmが開通したその日の出来事です。
開通後、一時間余り経った頃、下り線砧高架上で軽い接触事故が発生したそうです。その付近になぜか某新聞社の記者とカメラマンの二人がいて、事故を上り線側で目撃し、事故現場へ移動時に(高架橋は上りと下りの間の約1mの隙間を作ってあります)カメラマンのほうが誤って転落され、怪我ををされたと聞きました。翌朝、各新聞社は、首都圏の高速道路の夜明けと絶賛の記事が大きく紙面を埋めていました。その後、新橋のミス東京の前にあった、日本道路公団本社を訪れたとき、山崎八郎氏が 「転落防止の良い案がないかい?」 と話しかけてこられた。空中ブランコの映画の話をすると、山崎氏は 「今ここで絵を描いてよ」 コピー用紙を渡され、絵を描いた。映画の筋書きは、サーカスの空中ブランコで、世界で誰一人成功した人がいない、三回転宙返り跳びを安全ネットを取り外して行うというもので、迫力、手に汗握る映画でした。【男優 バード・ランカスター/トニー・カーティス女優 ジーナ・ロロブリジータ の三人が主演】  その絵とは取り外した安全ネットを金網、ワイヤーロープ、アンカーボルトに組み替えたものでした。その絵が、前田総裁のお褒めに与かり、高速道路の転落防止網として、現在も頑張っています
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太陽電池付防音壁の発想と開発の動機

2009-12-28
written at 2009年12月28日|仕事の思い出
正式には 『 ソーラーパネル一体型背面分離式吸音板 』という長い名前になります。
この製品は、弊社の 『前背面分離式遮音壁』 があって実現可能になりました。前背面分離式遮音壁は大阪府下に平成22年3月20日開通予定の第二京阪自動車道に採用されています。
その辺の話を少し致しますと・・・平成16年頃のことだと思いますが、旧日本道路公団大阪建設局のK課長が防音壁メーカー数社(弊社を入れて)を呼んで、「現在の遮音壁は、高さが5mを超えるとメンテナンス性が大変に悪いので、すべてのメーカーの英知で解決してほしい・・但し下記条件は守ってください。
1)現在の性能を落とさないこと(出来れば良くしてほしい)
2)デザインを落とさないこと(出来ればこれもよくしてほしい)
3)軽量化が望ましい(死荷重を増やさないでほしい)
4)販売価格を値上げしないこと(むしろ安くしてほしい)
5)安全性は維持すること
6)金属面の眩しさを弱めてほしい・・・」
以上だったと記憶しています。 
参加したメーカーの方々は、K課長の提案は当然のことと感動して帰社されたと思います。
私も当然のことと思い帰社致しました。後日、弊社を除く参加メーカーはK課長を訪れ、「現在採用している遮音板は、最良の製品であります。改良、開発は○○かと存じます」と発言されたと耳にしています。(弊社にはどこからも誘いはありませんでした。)
弊社は、今後のメンテナンスのことを考えると、なんとかしなければと思い、K課長のアドバイスを頂き、『前背面分離式遮音壁』が出来上がりました。この遮音壁の特徴は、防音壁用支柱の前面側と背面側二つに分離し、前面側は“吸音性能”、背面側に“遮音性能”を持たせた構造です。
その間を空気層として利用する仕組みです。
大きな特徴は、支柱の外側に付く背面板(遮音性能)の取り付け、及び取り外しは全て内側から行い、作業員は一切外部(支柱の外には出ませんし、足場も要りません)に出ることがありませんので、非常に安全で能率的です。
従来の吸音板は破損した場合、車線規制を行い、クレーンを用意し、まず回転防止ワイヤーを外し(この場合破損していない、多くの吸音板を一時的に取り外すことが義務づけられます)、最上段部から順番に取り外して交換することになります。
弊社製品は部分交換が容易で、軽四輪トラックと脚立、作業員3名程度で取り換えが可能です。(約1時間)
この結果、遮音壁用支柱の前面側と背面側に前面吸音板と背面遮音板を分離して、両側から取り付けることにより生じた空間(空気層)に配線をして、不具合が生じた際に、その原因となるソーラーパネルの取り換え、また、損傷した遮音壁の取り換えが容易にできることにより、メンテナンス性が向上します。
1枚目の写真は背面板(ソーラーパネル付き)を支柱に取り付けたところです。
支柱に空いている穴は、配線用と支柱回転防止ワイヤーを通す穴です。
2枚目の写真は、前面板を取り付けて完成したところです。
 
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