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創業者の想い

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原子力発電所の建設の考え方

2011-07-07
written at 2011年07月07日|
福島の原発事故の報道は毎日です。
私の構想ですが・・・いかがでしょうか?
1)海岸近くの山を掘削する。日本には世界最大級のマシン(TBM)があります。直径が13mですからビルの4階建ほどもある、現実には世界のトンネル工事の掘削機です。
【 実例 :  飛騨トンネル 2008年7月開通 全長10,710m 】
 
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海岸近くの山をくりぬき、原子炉を設置する案です。
すると津波も地震も放射能も怖くないと思われます。
 
 
 TBMマシン( 写真 ↓ )
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※ TBMマシンは調子がよい時は、1日30m進むそうです。

"男なら男なら・・・"と続く歌詞の話

2011-06-16
written at 2011年06月16日|思い出
昭和40年頃のことです。
私をよく酒席に呼んでくれた知人の井本哲一氏(当時50歳ぐらい)という人物がいます。
その井本氏は、第二次世界大戦中、中国大陸で特務機関に属していたとのこと。昭和19年頃、部隊長に呼ばれ「○月○日○○時に転進(退却)するので中国 蒋介石軍に交渉せよ!!」と命令を受け、中国側密偵と話をつけ(攻撃しない)、部隊長に報告すると「分かった。但しオレ流でやるぞ」と話されたそうです。
トラックの後ろに、たくさんの蹄鉄を紐で引っ張って(トラックは空でオトリ)、数台一斉に走り出した。すると、砂煙がモウモウと立ち昇り、数倍の トラックが一斉に走り出した様に見えた。そこに中国軍が砲撃を掛けてきた!!その隙に部隊は見事に転進出来たとのこと。その次にドスのきいた歌が・・・・・・この歌詞でした。“男なら~男なら~、生まれた時は裸じゃないか~、死んで行くのも裸じゃないか~生きている間の一仕事、男ならヤッテミナ!!”私は昭和10年生まれ、国民小学校第一期生の軍国小国民でした。今日の大東金属があるのは、人生の節目節目に、この歌が私の背中を押してくれたような気がします。
今朝のNHK朝ドラ“おひさま”を見て懐かしく思い出しました。
 
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「大阪」と「大坂」の読み違いの話し

2011-06-09
written at 2011年06月09日|思い出
 昨日、大阪駅前にオープンしました三越伊勢丹に行ってきました。大きく様変わりした大阪駅を見ていますと、昭和34年頃、私が上阪してまだ数ヵ月経った頃の出来事が脳裏に浮かんできます。
   当時、私は大阪駅前で市電が来るのを待っていますと、外国人の女性が「"サカカミテンクルマ"乗り場知りませんか?」と尋ねてきました。その時は「知りません」と答えたのですが、それから約1年近く経って、同じ場所で市電を待っていましたら、正面の阪神デパートの右端の電光掲示板に大きく「 阪神電車乗り場・・・→ 」と文字が上に動いていました。私はシマッタ・・・あぁそうか、阪ハンはサカ、神シンはカミ、電デンはテン、車シャはクルマと読めないこともない。外国人には日本語は大変難しいなとつくづく感じました。
 
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G.N.N.の意味

2011-06-02
written at 2011年06月02日|思い出
G.N.N.とは義理、人情、浪花節という意味です。
当時の日本人を「江戸っ子 よ!!」と言ったようでした。昭和58年頃、名古屋エンジニアリングの山根巌氏より私に「北陸道柏崎にある、青海橋の防風柵を検討してほしい」と電話が あり私は話を受けた。今度は土工部ではなく、高架である。それはエキスパンドメタルでなく、パンチングメタルで開口率を50%にし、それを凹凸の波板状に加工し、日本海の美しい景観をドライバーにも見えるようにと考えた。
(図1~3参照)
関係者より、大変良い出来栄えと称賛された。その夜、宿は私一人になった。山根氏は用事があると言って名古屋に帰られた。私は私に褒美を与えようと、近くのクラブ美松へ行き、客となった。クラブには客は一人も居なく、私一人の時間が流れた。クラブのママが突然、「田中角さん(田中角栄元総理大臣)をどう思いますか?」と問いかけてきた。私は「G.N.N.が分かる人だと尊敬しています」と答えると、「G.N.N.って何よ?」って言ってきた。私は丁寧に義理と人情、浪花節を解説すると、「スバラシイ!!」と言い、「古賀さん目白の角さんのところへ案内してあげましょうか?」と思いも寄らない話が飛んできた。私は「是非に・・・」と返事をしました。私の希望は「旧田中総理邸の池の前で2人の写真を・・・」と話しました。数日後、「来月の5月6日 10時に田中邸で待ってますから必ずいらっしゃってね!!」と電話がありました。当日田中邸を訪れますと、すでに先客が10名余り居ました。あと2人で私の番だと、胸がドキドキして何を話そうかと考えていると、元総理大臣の竹下登氏が現れ、数分後に田中角栄、竹下登両氏で外出され、係の人から「本日の面会は終りです」と告げられ、幕となりました。おみやげとして買い求めた、ナポレオン(ブランデー)がやけに重く感じた、48歳5月の思い出です。
  図1
 
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  図2
 
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北陸道柏崎 青海橋の防風柵
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パンチングメタル開口率50% 凹凸波板状に加工日本海の美しい景観をドライバーにも見えるようにしたフェンス。
 
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人の悩みを共有し解決した話

2011-04-01
written at 2011年04月01日|仕事の思い出
昭和43年頃の話に思いが甦ります。
私の仮の事務机が日商㈱特殊線材課にあり、渡辺(銀)部長、尾仲課長の課でした。私のその時の立場は石倉金属社員であり、新幹線、東名高速道の工事、打ち合わせをするために使用していました。その左側の机に日産自動車、川又社長の息子さんが学習院(乗馬クラブに所属されていた)を卒業され、新入社員としていらしていました。いつも元気な川又君が今日に限ってションボリとしているので「どうかした?」と尋ねると「実はワイヤーロープ(φ8×3×7)電線補強材の発注を一桁多く手配してしまった、大変なことをしでかした!!」と嘆いていました。川又君曰く、「日産自動車で弁償しようかと思っている」と言 っていましたが、私は「それは筋が違うよ、その為に上司の係長、課長、部長が印鑑を押しているんだよ」すると川又君が「一杯ヤルカ!!」と言ってきた。ごく、アッサリとした彼でした。その後しばらくして、こんなニュースが新聞に出た。東名高速道路が開通し、カメラマン一人が橋から下に落ちて、重傷を負った。危険だとある新聞記事がトップにのった。そこで私は転落防止網が必要だなと思った。『そうだ、川又君が余分に手配したワイヤーロープを使って・・・』とシナリオができた。私は日本道路公団本社に向かった。これから先は私のブログ“米国映画空中ブランコよりヒントを貰った製品を参照ください。
http://www.daito-m.co.jp/info/president/2010/01/
(2010年1月13日掲載)
※このワイヤーロープは川又君が残した量の100倍近い材料を追加したと思います。(東京ー名古屋一宮間)
※約1年間かけて本工事が終り、日商㈱に報告に行き川又君を訪ねると、すでに退職されていました。
※私は26歳の時、名神高速道路山科の試験工区より仕事を始め、
(“道路公団への道”
 http://www.daito-m.co.jp/info/president/2010/05/
2010年5月20日を参照して下さい。)
本日平成23年第二東名高速道路静岡で遮音壁の新型下段パネルを約1500m納品しています。
今年で76歳です。
50年半世紀高速道路の工事に従事しています。
 

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